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2014年1月24日 (金)

アウグスティヌス

アウグスティヌス

存在

「私はあなたの下にあるものを眺めて、それがまったく存在するものでもなく、またまったく存在しないものでもないということを知った。それらはあなたによって存在するから、たしかに存在するがあなたが存在するような存在ではないから、決して実在しない」『告白』

1つのことについて相反する言い方は「哲学的」深みがでる。例「私は私であって私ではない」

あなた=神。あなたによって存在とは、あなたに創造されたもの。しかし、あなたのような存在ではない、と否定にかかる。これは、神は創造主であって創られるものではないという意味で考えるべきであろう。あなたのおかげで存在できている、という内容である。

例えばバレンタインのチョコレート。どんなに安いチョコでも大切な人からもらえば大切にみえる。このチョコをチョコたらしめているのは、あなたなのだ!という話になる。さらに、このチョコなしで生きていけない私は、あなたなしでは存在しえない、ということになる。

そもそも「まったき」存在などは存在しない。何かに依存しているのである。自分にとっての自分は存在せず、誰かにとっての自分と言う話になる。自分中心の人は「自己決定」にこだわる。こうゆう人は「まったき」形で存在したいと思っている。まさに身の程知らずだ。人はすべて関係性で生きている。神だけが例外で関係性なく存在できる。

神は上にいるという発想。「天にまします神」人はヒューマンビーイング。ヒューマンの語源はフムスで、「地面」という意味。その意味でヒューマニズムは非常に謙った人間観。(少なくとも欧州は)

告白

アフリカで放蕩の限りを尽くしていたアウグスティヌス。罪におぼれた生活、盗みをする、勉強はしないなどの事実を赤裸々に書きつくる。破壊欲求の誘惑から、洋ナシの木を荒らす、盗む。破壊衝動に我を忘れ快楽に浸る人間。悪事を告白するアウグスティヌス。壊したなしは存在しないが、悔恨の中に存在する。たぶんどの梨よりも鮮明に覚えているはずだ。時間と存在は大変ユニークである。

「今」を捉えることは無理、さらに未来はまだ来ていない。すべては過去に呑みこまれていく。より難しいことは、過去は厳密な意味では存在していない。

告白するもの=曖昧な過去と未来の狭間にいる人。人にはこの2つの次元が常につきまとう。

悔恨の念を抱くものは、過去は単なる過去ではない。それは後悔と言う形で居残り、私たちを懺悔や赦免へと動かすのではないか。

過去と未来は実は現在に書きこまれている。告白と赦免を欲するから、いろんな傷を現在に残すのだ。

動物には告白がない。動物の現在は、食欲を失えば死んだも同然、意味がないのだ。その点、人間は、「告白」を通じて現在に厚みを与え重大な意味を与えてくれているのだ。それは、過去の記憶と、未来への予期に彩られているのだから。懺悔と告白をすることで、人生やり直し、リスタートを切るのだ。これらをすることで、人の現在は限りなく広がると言えるのだ。

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