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2014年1月25日 (土)

経験主義

バークレー(1685-1753)

知覚

アイルランドの哲学者・バークレーは『ガリバー旅行記』で有名なスウィフトの口添えで宮廷と縁を持った。トリニティーカレッジで神学博士、アメリカに渡り大学設立にかかわるも挫折、帰国しクロインの司教になる。

私たちが認識し理解するのに「物質」は関係ない。あくまでも「経験」から外部世界を信じることは当たり前なのだ。

世界は物質ではなく、すでに人の体内に組み込まれ、内在化しているのだ。彼の有名な言葉「存在するとは、知覚されること」(『人知原理論』)とはまさにこのようなことだ。それは、あたかもパイロットは飛んでもいない飛行機のシミュレーション飛行のようなものか。空間や時間を実体として考えがちだが彼に言わせればそれは幻想、すべての存在は視覚の結果であると。幻覚も、知覚を極端な方向へと進めただけのものだ。

絵画で遠近法を知っていれば、遠近で大きさが違うことがわかる。しかしこれは、視覚だけの問題ではなく、どれだけ歩けばいいとか、運動感覚、筋肉感覚、触覚から計っている。

盲目で、触覚で物の形状を理解していた人が、晴眼手術で見えるようになり、視覚だけで物を把握できるのか?⇒難しい(モリヌークス問題)

非物質の世界観

知覚とは、見ている対象を転写したものではない。固有の法則に従って動いているもの。この考え方は近代科学への批判となった。科学者は数字と格闘、方程式で世界を分析しようとしている人種だ。彼らは物質の分析で、客観的な数字が発見できることを信じた(経済学もしかり)。科学は軟弱と「感性」を批判した。

例えば人が物を見るとき、物体のイメージが目の網膜に入り網膜が受け取る。バークレーは、物体は内部で生みだされているものであり、それが外部へと投影されるものと考えた。網膜=TVスクリーンという考え方。

世界は目によって知覚、加工されたおかげで存在している。実際、我々が見ているものは、光彩から創られたヴァーチャルイメージである。視覚と触覚は大きく異なる。触覚は完璧に異質の感覚を与えてくれる。(触る、聞く、見るなど)知覚=存在であり、この考えはプラトン的な超越論やイデア論の対極にある。反対に、ヴァーチャルイメージは「片足のない人間」が好例。存在しない足に痒みを覚えることがあるという。これには幻肢が存在しているという感覚がある。

想像や印象は、夢想とは違い現実の肉体につながっているのだ。想像と肉体を繋いでいるのは舞台公演で、監督は「神」。すなわちバークレーは、有神論の立場から語っているのである。人がひどいシナリオを演じようとすればそれは、イメージではなく、夢想の出番になる。

  

スウィフトは想像上の国々をたくさん作りあげたが、これらは残念ながら知覚できない。彼に言わせれば「精神」がこの国々を伝えるのだと。これらの現実性を有効化するためにはまさにバークレーが不可欠。

現実性は知覚から生じる。

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