学問・資格

2014年7月12日 (土)

スピノザ

スピノザ(1632-1677)

不敬

「すべてが空虚で無価値であること経験から学んだ」

万物は何かに必ず依存して存在している。永遠かつ無限、そして完全な存在を彼は「最高完全者」と呼ぶ。これが神。

神こそが依存せずに存在する「実体」であり、人も自然も、物体も神から派生したもの。要するに神の「部分」である。この論理では、神は至る所に存在する日本的「よろずの神」に近い。(汎神論)

人間=飛ばされた小石。スピノザは、自由意思を否定。神が決定しているからだ。人間が自由だと思い込んでいるのは、あたかも飛ばされた小石が自力で飛んでいると勘違いしているようなもの。これを「不自由」と思うかもしれないが、神の視点では「永遠の相」の一部であると主張する。永遠性を求めることで心の安寧、秩序が維持できる。

彼はユダヤ教団から破門、また人格神を信仰対象とするキリスト教からも非難を受ける。

スピノザはニヒル?虚しさ?

名誉も富も快楽も永遠ではなく所詮、虚しい。虚しいものに振り回されて、いつなくなるか恐れている。それら自体は悪くも良くもない。悪い面であれば強欲、傲慢、良い面は精進などいろんな側面がある。(釈迦「世間は虚仮」)

絶対に不変なもの、必然的なものを求めることが重要。

「光が光と闇を顕す」

光=真理(プラトン)

闇=感情や欲望

知性は、移ろうものに影響受けるから改善して、不変のものを見抜く目を養わないといけない。『知性改善論』

そのためには、しかるべき「方法」が重要。「知性の道具」

私を喜ばすもの、悲しませるものに気を取られて、肝心なものを見ていないのが我々の知性。認識すべきものを認識することの大切さ。

改善の前提には、人間にはもともと知性が備わっているが、たまたま今曇っている。だから、正しい方法で改善するのだ、という主張。

あなたが大切と考えていたことはすべて、無意味。これがわかったことは、ようやく正しい認識への入り口に立てたのだ、という一種の宣言になっている。

「方法」について

欧州の哲学者は方法が好き。デカルト「方法序説」、サルトル「方法の問題」ガダマー「心理と方法」ファイアアーベント「方法への挑戦」さらにニーチェは「19世紀の特長は科学ではない、方法の時代だ」などなど。

「方法」はノウハウであり、メソッド、やり方、これは一般化できる。故にその方法を使えば、真理にたどり着くということになる。方法=民主化。

技術や科学は民主的

職人は「真似る」から入り、盗む。極めて属人的。学ぶは真似る。

これが科学VS経験の深い溝。例えば京都は経験の文化。

知の方法化

欧米は世界の仕組みを知りたいと思った時、仕組みを見つける知性の仕組みを問う。眼を清め、雑音の排除、影響から逃れて知性の仕組みを知れば、それが認識する世界がそのまま真理なのだ、と。

近代は世界を直接語らない。(なぜなら移ろうから)でも知性を知れば世界がわかると考えた。(自分だけは確かという主観主義)

自然の光は何?

昔は聖書に求めて神様

世界そのものの中にある

近代は真理は人間の精神の中

釈迦は「世間は虚仮、真理は世間などにはない」という。

「なるようになるさ」

日本人の大好きな言葉

このフレーズが日本の必然性。欧州は、必然は「原理」である。

欧州は根拠、論拠を探しに行く。古代は原子論、中世は神の言葉、近代は人間の中。しかし、ニーチェは、「必然には根拠がある」ことを全否定。だから日本人に人気があるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月 7日 (月)

人脈論②

1.分析する

まず自分の人脈を棚卸する。そして彼らが何をもたらしてくれているのかを特定する。メリットの分類は、情報、政治力、個人の能力開発、個人的支持、目的意識や価値観、ワークライフバランスになる。ここに人脈を当てはめれば、どこがどう満たされ、何が欠けているかがわかる。自己の進化になっているのか、退化になっているのか、明確になるだろう。自分が誰に頼り過ぎているのか?誰にもっと接近すべきか?付き合うことがどのくらいの励みになるのか?エナジャイザーとデエナジャイザーの存在に注意すること。

2.重複削減

人脈のリストラ!

分類した中で、多すぎるカテゴリーを精査する。

未熟なリーダーは情報人脈に凝り過ぎる。

もしくは社内人脈のみに固執する。などなど。

さらに自分のエネルギーを吸い取る人からは離れる。

あまりに負担になる社外活動からは離れる。

3.多様性

人脈リストラの後は、適材の手当てが始まる。選ぶ基準は①エネルギー②前向き③献身的。

ワーク:向こう1年で達成したいことを書く。それを達成するために必要な人をカテゴリーに入れてみる。

4.活用

人も使ってなんぼである。しかしここが一番難しい。どうしても出会いが刹那的で終わり継続ができない人がほとんど。なぜ遠のくのか?会わないのであれば、なぜ名刺交換するのか?徹底的に理由を考えること。出会った人は自分のメンターにならないのか?なるのであれば、弟子入りすることも1つの方法。

有効な人脈活用は、人の意見を聴くことから始まる。そこから思いがけないアイデアや考えが生まれてくる。たとえばAさんの他の潜在性にも目が行き、より深い関係ができるかもしれない。

この4つのステップから成る、人脈構築は時間と共に自然に発展する。素晴らしいチャンスとアイデアを運んでくれる人材を得ることができるはずである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月 6日 (日)

人脈論①

新・人脈活用法

顔が広い?

顔が広い人と人脈がある人は本質的に違う。

相手との関係の深さと密度

名刺の量

知り合った経緯

私が参加している会合や団体

①国際協力推進協会 http://www.apic.or.jp

②日本国際フォーラム http://www.jfir.or.jp/j/index.htm

③シリウス企業倫理研究会

④日本香港協会 http://www.jhks.gr.jp/

⑤香港貿易発展局 http://www.hktdc.com/info/ms/jp/Japanese.htm

⑥ジェトロ http://www.jetro.go.jp/ttppoas/indexj.html

⑦絆サロン http://kizunago.com

間違った人脈投資

1.構造上の罠:会社の正式な職位をあまりに重視し、非公式な関係がもたらすメリットを見逃す。また、人脈が多すぎて、外部活動に時間がとられ、自分自身がビジネスの障害となり、燃え尽きる。その燃え尽きていることに気がつかず、それを充実感と勘違いする。

2.関係上の罠:孤立した専門職は、革新的な人よりも安全志向の人を求める。偏見があるリーダーは、自分に同意しやすい意見の人に信頼を置く。

3.付き合い方の罠:人脈が多いほどよいと誤解し、できるだけ多くの人と会い、名刺交換することが快感になる。すべての人仲良くするために、自分の趣味、価値観を変える八方美人となるが、結局失敗する。

高業績なリーダーが頼る人のパターン

1.新しい情報や、専門知識をもたらす人、刺激をもらえる異業種

2.フィードバックを適宜与えてくれる人

3.自分の仕事を支援する人、実力者、影響力がある上司 

満足感の高いリーダーが頼る人のパターン

1.個人的に支えてくれる。一緒にいると自分を取り戻せる。

2.新たな目的意識や価値観をもたらす人

3.身体の健康と精神の幸福に寄与してくれる人

適切な人脈はどう作る?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月 5日 (土)

小林秀雄

今日の哲学サロンでは、小林秀雄をかたりました。日本を代表する批評家、大好きです。その深奥をわかりやすく話してあげました。皆さんも大満足。

美しい花がある。花の美しさはない。この言葉をどう考えますか?

昼間は、アジア戦略アドバイザリーの杉田さんと東京21cで打ち合わせ。みっちりやりました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月23日 (月)

スピノザ

スピノザ(1632-1677)

不敬

「すべてが空虚で無価値であること経験から学んだ」

万物は何かに必ず依存して存在している。永遠かつ無限、そして完全な存在を彼は「最高完全者」と呼ぶ。これが神。

神こそが依存せずに存在する「実体」であり、人も自然も、物体も神から派生したもの。要するに神の「部分」である。この論理では、神は至る所に存在する日本的「よろずの神」に近い。(汎神論)

人間=飛ばされた小石。スピノザは、自由意思を否定。神が決定しているからだ。人間が自由だと思い込んでいるのは、あたかも飛ばされた小石が自力で飛んでいると勘違いしているようなもの。これを「不自由」と思うかもしれないが、神の視点では「永遠の相」の一部であると主張する。永遠性を求めることで心の安寧、秩序が維持できる。

彼はユダヤ教団から破門、また人格神を信仰対象とするキリスト教からも非難を受ける。

スピノザはニヒル?虚しさ?

名誉も富も快楽も永遠ではなく所詮、虚しい。虚しいものに振り回されて、いつなくなるか恐れている。それら自体は悪くも良くもない。悪い面であれば強欲、傲慢、良い面は精進などいろんな側面がある。(釈迦「世間は虚仮」)

絶対に不変なもの、必然的なものを求めることが重要。

「光が光と闇を顕す」

光=真理(プラトン)

闇=感情や欲望

知性は、移ろうものに影響受けるから改善して、不変のものを見抜く目を養わないといけない。『知性改善論』

そのためには、しかるべき「方法」が重要。「知性の道具」

私を喜ばすもの、悲しませるものに気を取られて、肝心なものを見ていないのが我々の知性。認識すべきものを認識することの大切さ。

改善の前提には、人間にはもともと知性が備わっているが、たまたま今曇っている。だから、正しい方法で改善するのだ、という主張。

あなたが大切と考えていたことはすべて、無意味。これがわかったことは、ようやく正しい認識への入り口に立てたのだ、という一種の宣言になっている。

「方法」について

欧州の哲学者は方法が好き。デカルト「方法序説」、サルトル「方法の問題」ガダマー「心理と方法」ファイアアーベント「方法への挑戦」さらにニーチェは「19世紀の特長は科学ではない、方法の時代だ」などなど。

「方法」はノウハウであり、メソッド、やり方、これは一般化できる。故にその方法を使えば、真理にたどり着くということになる。方法=民主化。

技術や科学は民主的

職人は「真似る」から入り、盗む。極めて属人的。学ぶは真似る。

これが科学VS経験の深い溝。例えば京都は経験の文化。

知の方法化

欧米は世界の仕組みを知りたいと思った時、仕組みを見つける知性の仕組みを問う。眼を清め、雑音の排除、影響から逃れて知性の仕組みを知れば、それが認識する世界がそのまま真理なのだ、と。

近代は世界を直接語らない。(なぜなら移ろうから)でも知性を知れば世界がわかると考えた。(自分だけは確かという主観主義)

自然の光は何?

昔は聖書に求めて神様

世界そのものの中にある

近代は真理は人間の精神の中

釈迦は「世間は虚仮、真理は世間などにはない」という。

「なるようになるさ」

日本人の大好きな言葉

このフレーズが日本の必然性。欧州は、必然は「原理」である。

欧州は根拠、論拠を探しに行く。古代は原子論、中世は神の言葉、近代は人間の中。しかし、ニーチェは、「必然には根拠がある」ことを全否定。だから日本人に人気があるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月22日 (日)

今週の予定

23日 19:00 仕事塾

24日 19:00 黎明の会

25日 13:30 杉田さん@新丸ビル 18:00千本さん@NOBU

27日 8:30 APIC

こんな感じです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月20日 (金)

豪傑とは?

豪傑について

豪傑=経営者?

松陰曰く「豪傑とは万事自ら草創してあえて人の轍跡をふまない」

この信念こそ、「誠」が重要。(太宰春台を参照)

成功・成就=信念に沿った行動しているとき。疑念があるとおぼつかない、故に大切なことは「誠」なり。

松陰曰く「誠=実、一、久」と。

実=実践

一=集中

久=持久

誠=まごころではなく、松陰の指摘するような厳しさが真の誠。

「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」(日本電産)

しかし、誠だけでは成功はしない。小さな正義の横暴、官僚制度などの跋扈。徂徠もこれついては、相当怒っていた。-根入りの重要性

ただ、豪傑も人の子、挫けそうになることも多々あり。そこで力を持つのが卜筮。

あえて非合理なものが人心を1つにする。(開物成務)

ポイント

①誠があるのか?

②根入りがあるのか?

③非合理な手段を使っているのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月19日 (木)

近江商人

近江商人はなぜスゴイ? 近江商人 勤勉、実直。天秤棒を担いで朝に星を見て、夕べに星を見るという生活が基本。五個荘松居家の家紋は%で、これは朝星、夕星、そして天秤棒。さらに近江商人は、情報に極めて敏感。近江は上方と江戸の間で、東海道&中山道の二大動脈が走っているという商売には最高のロケーション。街道は人、モノ、情報の流れがある。商人=近江、伊勢 忍者=伊賀、甲賀は双方ともに情報産業。 仲間作り 近江八幡、五個荘、日野、高島の出身者でOO講、OO組 OO仲間などを形成。目的は情報収集と共有。各地の経済動向、価格差、信用情報などをやりとり。流れ旅をしていたので、「定宿」が重要。特約旅館を設けて、ここを物流、為替、すべての拠点にした。定宿=コンビニ!? 仲間作りのもう1つの目的は債権回収。大名からの取り立てはリスク大。日野大当番仲間は幕府から売掛金回収特約をもらっていた。もし取っぱぐれがあれば、幕府の評定所に訴えればそこが動くことになっていた。 システム形成 地元資本との合弁事業(乗合商内) 資本金の20分の10が近江商人、20分の9が地元、20分の1が世話人のような形で、今のファンドを組んでいた。資本の利益率は年率10%を義務化。それ以上に儲かったときは、出資比率で分配。損の場合は、世話人を免除して、出資者で応分の負担をしていた。しかも、資本金は個人財産と切り離して管理されていた。元入金、元手金、望性金と分けられ、運用、利益率、再投資などが帳簿上も明確化されていた。複式簿記の導入で、確認検証を行っていた。さらに名目金制度:特に大名貸。知恩院、石清水など寺の名前を使い、寺社名目で大名に貸すと踏み倒せない。商人は寺社に名目料を払った。 三方よし売り手、買い手、世間よし 報恩感謝 近江商人には浄土真宗派が多い。信仰心の気持ちが商売の成功、さらに世間評価へつながった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月16日 (月)

豪傑とは

豪傑について

豪傑=経営者?

松陰曰く「豪傑とは万事自ら草創してあえて人の轍跡をふまない」

この信念こそ、「誠」が重要。(太宰春台を参照)

成功・成就=信念に沿った行動しているとき。疑念があるとおぼつかない、故に大切なことは「誠」なり。

松陰曰く「誠=実、一、久」と。

実=実践

一=集中

久=持久

誠=まごころではなく、松陰の指摘するような厳しさが真の誠。

「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」(日本電産)

しかし、誠だけでは成功はしない。小さな正義の横暴、官僚制度などの跋扈。徂徠もこれついては、相当怒っていた。-根入りの重要性

ただ、豪傑も人の子、挫けそうになることも多々あり。そこで力を持つのが卜筮。

あえて非合理なものが人心を1つにする。(開物成務)

ポイント

①誠があるのか?

②根入りがあるのか?

③非合理な手段を使っているのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月14日 (土)

クローチェ

ベネディクト・クローチェ(1866-1952)

表現

哲学は概ね、「概念」を究明、分析、打ち立てる。しかもその「概念」は「ものの関係」を語っている。自己と他人、人と物、物と物、神と人など関係性から説明しようとしている学問。

しかし、「モノ」そのものはどうやって把握するのか?

クローチェによればそれは、「直観」による。

直観は、概念とは明らかに違う。がしかし、直感が概念を構成している(前提となっている)と主張。学問的作品は、その前提として芸術的直観を持たなくてはいけないのだ。

「学問的作品は同時に芸術作品だ」

哲学では、概念ばかりが中心課題で本来根本を成すはずの直観が触れられていないのはクローチェにとっては極めて、まずいのだ。

直観=印象や表象のこと

印象や表現がどれだけ現実的であれ、また非現実的であれ個性的に表現されたものが「芸術」になるのだ。

しかし、クローチェは芸術家優位を否定する。

個性的表現は、なにも芸術家の専売特許ではない。誰もが直観に依拠して成し遂げることができるものが芸術だ、と。芸術は直観の表現から成る。

絵も、彫刻も、文学もすべて直観の外部化なのである。

表現に必要なことはまず、記憶。記憶が直観を維持、発展させていく。

次に必要なことは、肉体を使うこと。肉体を使うことで、直観を伝え表現することが可能になる。

例えば、絵画を描くことは、直観と、絵具を混ぜ、絵筆を扱う技術のミックスで成立する活動である。

美しいものは快楽か?

プラトン以来、美=快楽だった。これにクローチェは異を唱える。快は精神活動ではない。あくまでも、付随する有機的なもので、美学が扱う対象ではない。快は精神の「外」になるものだ。

批評

批評とは「直観の再生産活動」である。例えばシェイクスピアを批評するとき、批評家の精神は作家と同レベルに上がらなくてはいけない。その意味で批評家と作家は精神で一体化するのだ。

芸術は直観の表現なり。

クローチェ曰く芸術(直観)は普遍的なものであり、芸術家に属するものではない。

「あらゆる認識は歴史認識なり」

 認識は判断を含むが、あらゆる判断の対象は「生成しつつあるもの」であり「進行中」のもの、つまり歴史的存在である。

 <あらゆる対象=歴史的存在>に関する判断認識もまた、歴史の進行の「一局面にかかわっている」。

だからあらゆる認識は歴史的認識である。たとえば、目の前の石ころでさえ、「自分を解体しようとする諸力に抵抗し、たとえ屈服するにしても易々と屈服しまいとしている一個の進行中の過程なのである。

だから、この石ころを足で蹴るか杖でどけるか、どちらにするかという私の判断は、この石ころの歴史の一局面にかかわっている。」

この議論のおもしろさは、いちおう認識と行動を分けて論じながら、そのいずれもが「歴史的」だと断言しているところにある。われわれが何かを認識することはすべて歴史的であり、その認識の表現もまたすべて歴史的行為である。ここまで「歴史」を拡張するクローチェの感性は人並み外れている。

歴史はすべて現代史、である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧